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宮内省の役人が「ルビーのオーダーメイドリング」
「流行の指輪」の記事の続きです。
前編はコチラをどうぞ👇
ジュエリー歴史探偵29
横浜居留のインド人からルビーを購入 其地金(そのぢがね)の如きも純金を赤磨(あかみが)きと称して洋金の如(ごと)き色合なすを 一般の流行なるが如し尚(な)ほ此頃宮内省の一縣官(いちけんかん)が大金を出し玉寶堂の手を経て 横濱居留の某印度人より購入したるルビーは其石質と云い大きさより形に至るまで 實(じつ)に稀有の逸品にして目下玉寶堂にて指輪に仕立て中なりと云う 世は何處まで贅澤(ぜいたく)に走るものにや…(後略) (1899年(明治32)8月4日 読売新聞)
赤みの強い金色が流行
「指輪の地金は赤磨きといって洋金(←赤みの強い金色のことかと)のような色合いのものが世間では流行している。
宮内省のある役人が大金を出して玉寶堂経由で横浜在住の印度人から色、大きさ、形すべてが揃った極上のルビーを購入した。
ただいま玉寶堂で指輪をつくっているところだ。いったいどこまでこの世は贅沢になるものやら…」
といったところでしょうか。
徳を持っていた明治人すら宝石に
当時の宮内省の役人ですから、元士族の大金持ちか。
司馬遼太郎が「明治人はどうもわたしたちが失った徳をもっていたのではないか」
と書いていますが、その明治人をもってしてもジュエリーの魅力にハマッたようです。
これは成金というよりも、美しいものに本能が堕ちたんじゃないかなとわたしは思うのですが。
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