ジュエリー歴史探偵1 伊豆沖から水晶の玉、上がる

2020.04.05

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明治の人はたくましい。当時の新聞から、ジュエリーをのぞき見!

新型コロナの暴威が止みません。
荒れ狂う激流に、日本も世界も小舟のように頼りなく揉みくちゃにされているようです。
それでもきっと大波を乗り越えられる日が、ジュエリーを存分に楽しめる日が来るはず。
日本人のたくましさを舐めちゃあいけません。

太平の眠りから醒め、世界の激流が押し寄せた明治時代の日本人も
それはそれは右往左往したでしょう。
しかしながら、たくましく旺盛にジュエリーを作り、商い、着け、輸出もしました。
そんな明治ニッポンのパワーにあやかろう! 頑張ろうニッポン!の気持ちを込めて
ジュエリーや宝石にまつわる、明治時代(1868~1911年)の新聞記事を紹介していきます。
(変体仮名、カタカナは現代仮名になおしています)

海底から上がった水晶の玉、宮内庁へ

先ごろ出した通り伊豆の沖から上げた水晶の玉は
此(この)ほど宮内省へ献納に成ったので御挨拶として
甲州の御岳神社へ御剣と金三千五百円を近々に下されますと
【1877年12月25日 読売新聞】

当時の新聞はトウゼン写真などなく文字だけで、記事もまさに玉石混合というか、
痴話喧嘩から盗難、殺人、火事や外国のニュースまでが入り混じっていて
「ほんとオ?」と首をひねるようなものや
「その先が知りたいケド」と尻切れトンボな記事も多いけれど
想像力を働かせながら読むとトッテモ楽しい。

甲府『水晶宝飾史』に献上記事アリ

この記事も一見まさにそんな感じで
「海から水晶? なんで?」なのだが
これはちゃーんとウラがとれてて確かな記事です。

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明治天皇へ献上した水晶玉
ところで県産水晶が展覧献上されたのは明治十二年であった。献上された水晶玉は、御岳の金櫻神社が宝蔵していた
径五寸七分(中略)オーストリアの首都ウィーンで開かれた万国博へ、日本政府の名で出品したものである。
(『水晶宝飾史』甲府商工会議所 昭和43年発行)
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この水晶玉はなんと、万国博が終わってから日本へ運ぶ途中に汽船が遠州灘で沈没、
でもすぐに引き上げられて神社に戻ったそうです。
このニュースを知った明治天皇が水晶玉をぜひ見たいとリクエスト&大絶賛
神社も感激して献上したところ、「備前長船康光」と3500円が下賜されたと記述は続きます。
この水晶玉はおそらく今も、宮内庁の三ノ丸尚蔵館に保管されているのではないでしょうか。

ではまた!

#Enjoy Japanese Jewelry

「七福神馬車の乗込」廣重 戯筆、明治3年刊行(国立国会図書館所蔵)

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