ジュエリー歴史探偵25 オーストリアの王子が欲しがった水晶玉(後編)

2020.05.05

甲州中巨摩郡に伝わる水晶玉

オーストリア王子が欲しがった水晶玉をめぐる記事、続きます。

此玉(このたま)は甲州中巨摩郡(なかこまごおり)内藤某氏祖先以来所有せる水晶抗(すいしょうこう)より
出(いで)しものにて此抗(このあな)よりは五寸以上の物を出したるは僅(わず)か三箇にして
其(その)一は献納して今御物(ぎょぶつ)となりたる者其二は大坂の商人の買受けたる者
其三は英人ケセキン氏の買受し長谷川氏所蔵の六寸一分の大玉(たいぎょく)は明治の初年発掘にて
璞石(ぼくせき)の時には五寸の玉を作り得べき目的にて其値(そのあたい)壹萬圓(いちまんえん)なるも
當時猶世人(とうじなおよじん)は其高価なるを訝(いぶか)りしに(中略)数年を費やして磨き上げたるに
予想よりも五六分大なる透明の名玉を得質に希代の寶玉(ほうぎょく)なりと
風聞外国に達し渡来の外国人は楽観を請う者年に幾十人なるを知らざるに至り遂に非常の高価となり
此品点々して遂に長谷川氏の所蔵する處(ところ)なれり(後略)
【1889年(明治22)10月12日 読売新聞】

18センチあまりの大玉

「この水晶玉は山梨県中巨摩郡の内藤さんが祖先から所有している水晶抗から採掘された。
この水晶抗で16センチを超える水晶はこれまで3個しか見つかっておらず、
1つ目は天皇の所有物になったもの、2つ目は大坂の商人が買った、3つ目はイギリスのケセキンさんが買い取り今は長谷川さんが持っている18センチあまりの大玉だ。
これが明治初年に採掘されたときは15センチくらいの玉に研磨できたらということで、2億円で売られた。
周りの人は高すぎると呆れたが、いざ数年かけて磨き終えたら予想より2センチ程度大きな透明の玉に仕上げられた。
希代の宝玉だと外国にも知れ渡り、年に何十人も見たいと言ってきて非常に高い値付けとなり、
所有者が点々としてついに長谷川氏のところへきた」
といったところでしょうか。

大玉は値段が倍々ゲーム

(後略)の部分には、「水晶玉は五寸一分(15.5㎝)のものは2億円、五寸五分(16.7㎝)は10億円、
6寸(18.2㎝)になると20億円という者がいる」
と続きます。
値段はちょっと眉唾としても、当時、日本産の水晶の玉が世界中で大人気で、
ミリ単位のサイズアップで価値がボンッボンッと上がっていったことが記事からはよく分かります。
ゴールドラッシュならぬクォーツラッシュ。
日本が宝石産出国、加工国として沸いた時代があったのですねえ。
それではまた!

#Enjoy Japanese Jewelry
#STAY HOME

 

(画像:「Inume Pass in Kai Province (Koshu Inume-toge), from the series “Thirty-six Views of Mount Fuji (Fugaku sanjurokkei)”」葛飾 北斎 1830-33 シカゴ美術館所蔵)

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