ジュエリー歴史探偵8 銭湯から戻ったら、珊瑚がナイッ

2020.04.12

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上京した高知の珊瑚商人大慌て

いまではアタリマエの内風呂が庶民にも普及したのは、戦後、高度成長期になってから。
それ以前は銭湯に通うほうがアタリマエ。
「赤い手ぬぐいマフラーにして~」カップルは通っていたのです。

珊瑚珠を入れた革鞄が無い

珊瑚珠(さんごじゅ)持逃げ

下谷東黒門(したやひがしくろもん)町の旅人宿川上おゑい(りょじんやどかわかみおえい)方に止宿(ししゅく)の高知縣人(こうちけんじん)
福島喜太郎は一昨日の午後六時頃一ト風呂(ひとふろ)入ってアゝ宜心持(いいこころもち)だと座敷に来て見ると代価に積もって
千圓余の珊瑚珠を入れ置し革提(かばん)が無いので大いに驚き直ぐ其筋(そのすじ)へ届け出たり
【1888年(明治21)3月11日 読売新聞】

下谷東黒門町とは、今の上野パルコヤのあたり。ジュエリータウンおかちまちのお膝元ですね。
旅館に泊まっていた高知県人の福島着太郎さんがお風呂に入って戻ってくると、
千円余り(今の2千万円)くらいの珊瑚の玉を入れていたカバンが無くなっていて大慌て、警察に届けました、
といったところでしょうか。喜太朗さんは高知から珊瑚を売るために上京していたのでしょうね。

ジュエリータウン御徒町のルーツ

ジュエリータウンおかちまちの、ジュエリータウンたるルーツは江戸時代にさかのぼります。
ここは北は寛永寺、東は湯島や浅草、お寺や花街がわあっと広がる賑やかなエリアです。
お寺用の仏具の飾りや、芸妓さん用の簪飾りなどをつくる飾職人が集まっていました。

明治に入ると界隈は装身具の生産地であり、集荷地へと進化します。
喜太郎さんもきっと、洒落たお姉さんたちの簪や根掛け、いやはたまた帯留か?
に使われるはずの珊瑚を抱えて上京してきたんでしょうねえ。
盗まれちゃいましたが。お気の毒です。

#Enjoy Japanese Jewelry

(画像:「東京自慢十二ヶ月. 1月」大蘇芳年 画 1880年刊行  国立国会図書館所蔵)

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