ジュエリー歴史探偵6 山梨県の水晶職人、上海へ

2020.04.10

産地から加工地への転換

現在も日本を代表するジュエリー生産地の山梨県。
そのルーツは県内の鉱山で水晶が採れたことから。
江戸時代、「こら商売になるでえ」と京都から玉造りの職人を招いて
まん丸に研磨したものを売ったことがジュエリー産業のはじめて物語です。
現在の政府のオススメ、第六次産業(農業や水産業、鉱業といった第一次産業者が
製造、販売までをワンルートで担うこと)をやっていたんですねえ。
そして、開国そうそうに加工を学びに中国まで行こうというのがスゴイ。

彫刻法の研究のために横浜港を出帆

山梨県下第一等の産物水晶はまだ珠磨(たまみがき)の法は精(くわ)しくないので従って海外へ輸出するも
元質(もとしな)で売るばかりなると歎(なげ)き 今度甲府錦町の片山菊渓(かたやまきくけい)(四十七年)
長田市郎太(おさだいちろうた)(五十六年)の両氏が大奮発(おおふんぱつ)にて彫琢法(ちょうこくほう)を研究のため
去る四日横濱出帆(よこはましゅっぱん)の三菱汽船廣島丸(みつびしきせんひろしままる)へ乗り込み上海へ趣かれました 
【1881年(明治14)5月7日 読売新聞 】

原料を売るばかりでは面白くない

山梨は水晶が名産だが、ただ素材を輸出するばかりでは面白くない。加工法は長けていないので、
こんど、甲府錦町の片山さんと長田さんが一念発起して、彫刻法を学びに横浜港を三菱汽船の広島丸に乗って上海へ行った
といったところでしょうか。

明治の水晶職人の心意気に頭が下がります。
水晶が自由に採掘できるようになったのは明治2年のこと。
その後、アメリカのゴールドラッシュならぬ水晶ラッシュとでもいいましょうか
県内のあちこちで試験採掘がおこなわれて、大きな鉱脈も発見されます。
その後、わあわあと採掘が進み、明治後半には早くも枯渇がはじまってしまうのですが
このあたりはまた別の機会に。

ではまた!
#Enjoy Japanese Jewelry

(画像:「明治二十歳八月十九日日食九分九厘餘」梅堂 筆著、国立国会図書館所蔵)

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