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日本で採れたジュエル、水晶
明治の開国以降、西洋のジュエリーに大いに驚いた日本人。
海外の人もまた、日本のジュエルには大いに驚いたようです。
残念ながら現在は、良質な水晶はほぼ枯渇してしまいましたが、
この時代は輸出品として大いに人気を集めていました。
昨今ずいぶんたくさん輸出する
日本には多く産出するゆえ左(さ)のみに貴重せぬが水晶は玉の種類中にても上位のものなりと外國人は大きに貴重し 昨今随分沢山輸出(さっこんずいぶんたくさんゆしゅつ)するゆえ甲州をはじめ信濃能登出雲等の國々にして盛んに採掘して売出すという 【1883年(明治16)6月9日 読売新聞】
甲州、信濃、能登、出雲で採掘
日本には多く産出するからそれほど貴重ではないけれど、
水晶の玉の中でも上質なものは外国人は大いに貴重とする。甲州、信濃、能登、出雲などで最近は
バンバン採掘してどんどん輸出している、といったところでしょうか。
能登(石川県)、出雲(島根県)で水晶を大いに採掘したという印象をわたしは持ってはいなかったですが、
当時は甲府のクォーツフィーバーにあやかろうとする試みがあったのでしょうか。
ちなみに1883年は鹿鳴館がオープンした年。
洋のお洒落と触れ合い、装身具の文化を日本流に昇華させていく時代が始まります。
そのスタイルたるやあっ晴れです。
#Enjoy Japanese Jewelry
(画像:「東京自慢十二ヶ月. 5月」大蘇芳年 画 1880年刊行 国立国会図書館所蔵)