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西洋式のジュエリー、日本のジュエリー
さてさて、明治の新聞からジュエリーの記事をお届けする連載、2週間になりました。
今日はちょっとより道で。
江戸時代の豊かな装身具文化
「日本のジュエリーの歴史は短い」ということは、よくジュエリー業界内でも言われていますが
はたしてそうでしょうか。
〝いやいや、それは西洋式の宝飾品だけをジュエリーと見てるだけ。
昔から豊かな装身具の文化が日本も花開いてますよ〟
そんなことを『日本装身具史』(美術出版社)という本のおかげで知りました。
櫛や簪、笄といった髪飾りを中心に
日本人の美意識がきゅーっと凝縮したジャパンスタイルのジュエリー文化が
とても華やかに、とても豊かに営まれていたのです。
それはとても勇気が出る、目ウロコの事実でした。
日本人の「身を飾るセンス」というものに、絶対的な信頼が生まれたからでもあります。
ジュエリーの一般的な定義
一般的にジュエリーは人間の装身具の中で
肌に着けるもの
(ま、ブローチは特例として)
さらに
・素材に貴金属を使っている
・素材に宝石を使っている
ものと定義されています。
この定義からいうと、たしかに櫛や簪は当てはまらないか、、いやいや
金製の簪もあるし、珊瑚を使った櫛もあるし、、
たしかに、指輪やネックレス、イヤリングといった
「西洋式なジュエリーアイテム」は存在しなかったけれど、
それでバッサリと『存在しなかった』と切り捨ててしまうのは
大いにモヤモヤしたものがあります。
西洋式ジュエリーが急速に認知された理由
明治以降、日本人はスポンジに水を吸い込むように
西洋式のジュエリーを求め、馴染み、使いこなしていきます。
それは土壌として、「身を飾るセンス」を備えていたからに他なりません。
明治の開国以降、西洋のジュエリーと本格的に出会って、どんな化学反応が生まれたんだろう
現代に続く150年の道すじを見てみたい
そんな興味から、当時の市井の人たちの感覚や声が出てきやすい
新聞や雑誌を集め始めました。
そこには宝石やジュエリーが単なる「高級品」としてではなく
人の営みとともにある、肌温度のジュエリーのあれこれが溢れています。
「飾ることに意欲盛んな民族」
日本人はそう言って間違いないと思うのです(キッパリ)